歴史小説には色気と諧謔とを
同じ人間とは思えない偉人が、つい色欲に目がくらむ時、彼や彼女らと私たちとの距離がぐっと近づくものだし、どんなに深刻な歴史的事件でも、いつか笑い飛ばしたいと思うのが人間の本能。もちろん、先の大戦や3・11の震災など、そう易々と笑いの種にできないものもある。個人的な見地からでは無理ですね。忘れないで教訓として心にとどめる責任がある。しかし、時の流れとは不思議なもので、いや、ここでは文学の手柄ということにしましょうか、中世フランスの王室が起こした離婚訴訟の顛末を、まるで別世界の出来事のように楽しめる。そのくせ、結婚や夫婦生活、男女のあれこれの事情は同じなんですね。生き方もまた然り。こういうところに人間が文学を求める秘密が眠っている。
著者は佐藤賢一さん。ほんの少し前に、『女信長』で話題になりました。この『王妃の離婚』が直木賞を授賞した時も、選考委員の高い評定が取り沙汰され、とりわけ井上ひさしが大絶賛。という訳で、井上ひさしファンの方必読ですぞ。そしてもうひと方、結婚や夫婦のあれこれに関心がある人も楽しめると思う。ぼくはこっちのほうはダメですね。たまに家内がこちょこちょを仕掛けて来ますが、
「ぼくには心に決めた人がいるから……」
とおどけることにしてます。それでは、簡にして要を得ないあらすじをどうぞ。
〈主人公の名はフランソワ・ベトゥラース。14才で大学の教養部に入り、18才の若さでマギステル(人文系の上級学位)になったほどの俊英。フランソワには同棲している恋人ベリンダがいて、互いに結婚を望んでいたけれど、フランソワが聖職者のため結婚はできなかった。このときフランソワ27才。
時は流れてフランソワ47才。なんと彼は零落して田舎(ナント)で弁護士をしている。もちろん学問は道半ば、パリ大学を中途退学したのである。そんなフランソワがある裁判の傍聴にやって来た。被告は醜女で評判のジャンヌ・ドゥ・フランス。フランスの王妃であり、暴君ルイ11世の娘。そう、フランソワは、ルイ11世によってパリから追われたのである。彼が裁判の傍聴に赴いたのは、暴君の娘が苦しむ姿を見るためだった。
そこで思いがけない再会。かつての後輩ジョルジュ・メスキと出会う。ジョルジュはソルボンヌの副学監まで出世しているけれど、フランソワへの敬意の念は健在だ。そのやさしさに耐えながら、ジョルジュの教え子たちも交えて裁判談義で盛り上がる。しかしフランソワは、どういう風の吹き回しかジャンヌ王妃の弁護をする羽目になって……〉