スティル・ライフと老夫婦
家の近くの、川べりの道をよく散歩する。
その道は、大学病院の脇にある公園の一部で、一方はアスファルトでしっかり舗装されており、もう一方は土系舗装、この二つの道のあいだに川がある。もちろん、橋が三本くらいあって、二つの道の行き来は自由。ジョギングしている人もいる。
病院の近くなので、医者の卵を度々見かける。タバコのみが多いですね(ぼくはやりません)。日本の高齢社会を頼んだぞ。しかし困る人たちもいて、とくに妙にイチャつくカップルども。他所でやれ。いやいや、少子化対策お願いしますよ。
この公園のベンチで本を読むのがぼくのお気に入り。とりわけ、自然を感じる本や、自然を愛する人の短い小説を連れていく。たとえば池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』、すこし長めの短篇小説で芥川賞と中央公論新人賞受賞作。とにかく文章がいいですね。何度でも読める。ぼくは芥川賞作をそれほど読んでいませんが、この『スティル・ライフ』は抜群にいいと思う。清流のような透明感に、雪折れしない柳のようなしなやかさ、こういう言葉で理科っぽいことを易しく語るのはずるい。それに詩情もあって会話も上手。きっと女にモテるね、羨ましいなあ。
村上春樹に通ずるところもあるでしょう。文学的な主題というか、作風はちがいますよ。でもね、従来の日本語の文章の、悪しき湿り気を取った点、また、洒落た趣向を持ち込んだ感じが似てるんだ。しかし、池澤さんは、日野啓三のある小説(名前は忘れました)に触発されて書いたらしい。どうやら都市性で繋がっていたのかな? 村上さんと池澤さん。とはいえ『スティル・ライフ』以後の池澤さんは、『マシアス・ギリの失脚』(ぼくはこれがすき)や『静かな大地』など、土俗性の高い作品も書いています。
ぼくは週に何度か(だいたい二、三回)、その川べりの道をジョギングします。もちろん夜が多いですよ。昼は散歩するか読書します。
或る日の夜、いつものようにジョギングをしていたら、妙に月が気になりました。ラグビーボールよりは大きいけれど、満月には程遠い十三夜月と呼ばれる頃合いだった気がする。余談になるが、古来より満月の次に美しいとされ、月見の宴はこの夜に催された。
しかし、その月に魅せられていた先客がいて、それがベンチで月を眺める老夫婦。二人の周りの空気や、その距離感に妙妙たるものがあって、まるで一枚の絵画のよう。ごく稀に、目の前の景色に額縁を補いたくなるが、そんな考えを起こすのが野暮なくらい完成されていた。
もしかしたら、その瞬間のぼくは画家の眼をしていたのかもしれない。が、じつは美術は大の苦手なのである。さすがにその夜は絵心を持たない自分がすこし嫌になった。