多彩な仕事を残した巨漢の文筆家
月曜日「やあ、ぼくを呼んだかい?」
ぼく「来るな! いや来ないで、頼むから来ないで、日曜のサザエさんがはじまる時間から君が恐いんだ」
日曜日「ハックション……だれか俺の噂をしたか?」
月曜「俺はなにもしてないぜ! ただ、決められた時間に来ただけだ」
ぼく「もう、イヤ!! 土曜日、日曜日とはたらいてお前を見た日には殺意が湧くぜ。一年くらい入院してくれないかな?」(たまに、土日出勤があります)
全国の散髪屋さん「俺たちの休みを守れぇ~」
木曜日(ぼくの休みが多い曜日)「月曜になんてことを言うんだ!! もう、君(ぼく)のところには行かないよ(怒)」
ぼく「えっ、それは勘弁して。お願いだから、お願いだから。月曜日様ごめんなさい……」
はい、そうです。ただこの茶番がやりたかっただけです。というのは冗談で(本当か?)、この本の著者ギルバート・K・チェスタートンは記憶に値する人物である。
彼の「ブラウン神父シリーズ」は、短篇推理小説のひとつの型を提出したし、探偵役のブラウン神父はけっこう滑稽で(推理力はたしかだが)、完ぺき超人系ではない探偵の人物造形も見事だった。泡坂妻夫の「亜愛一郎シリーズ」などはブラウン神父なしでは存在しなかったであろう。
チェスタートンの業績はミステリーにとどまらず、評論(『正統とは何か』など)、評伝(チョーサーやディケンズ)、エッセイ(『自叙伝』など)、歴史物(『新ナポレオン奇譚』)、それからこの『木曜日だった男』などの長篇小説と多岐にわたる。
英国の文筆家は得てして多芸であり、それはH・G・ウェルズをちらりと思い出せば納得できるけど、チェスタートンの仕事を俯瞰すると確信に変わる。そして彼は多くの名言も残した。末尾に引用させてもらうことにしよう。
それでは「あらすじ」を、と展開したいところだが、この小説はぶっつけ本番の方がたぶん楽しめると思う。とにかく「不意打ち」が最大の魅力なので、あまり下見をしてしまうと、ははぁん(ニヤリ)となって興ざめする懸念があるのだ。もちろん本物の小説は、そういう下調べで輝きを失うことはないが、たとえ本物であっても多少の要求はする。それが「忍耐」や「教養」であるとは限らないのだ。
とはいっても、右も左も分からぬ世界にホイそれと連れていくわけにもいかない。したがって、物語が汽笛を鳴らす始発駅まで。
〈この世の終わりを告げるような夕陽を浮かべたロンドンの一画サフラン・パークに一人の詩人が姿をあらわす。そこにはもう一人、無政府主義を訴える赤毛の詩人が演説をしていて、二人の詩人は舌戦を繰り広げる。
痺れを切らした赤毛の詩人が啖呵を切る
「ぼくの本気を疑うなら酒よりも宗教よりも本気なものを見せてやろう」
と。
案内されたのは無政府主義者の秘密事務所。それぞれの曜日を名に冠した構成員はクセものぞろい。その日は亡くなった木曜日の後任を決める会合で、赤毛がその候補に名乗り出たのだが、なんと選出されたのは赤毛が連れてきた詩人。じつは、彼はこの組織の潜入調査を任された○○だったのだけど……〉
・「怪盗は鮮やかに獲物を盗みだす創造的な芸術家だが、探偵はその跡をみて難癖をつける批評家にすぎない」
・「良い人生とはなにか? それは、ひとりのいい女と、ひとりのいい友だちと、一冊のいい書物と、ひとつのいい思い出である」
ひとりのいい女だけ欲しい(心からの願望)。